どうしてなのかなあ
まあ。今夜は楽しくない話です。
もう、2ヶ月ほど前のことなんですが、未だに引っかかっていることがある。
余りにも、無知な飼い主と可哀想な犬の話。
4月・・・。良く晴れた日曜日のこと。
法事に行くからと、出かけた一家(大人3人)。一人(?)にするのが可哀想だからと、犬を連れて行き、犬が立ち入り禁止なので、野ざらしの駐車場に車を停め、車の中に置いてきた。
それが、午前11:00の事。一応、運転席のサイドガラス(ドアの所)を、1センチほどあけていた。
法事が終わり、一家が車に戻ったのが、午後3時過ぎのこと。
その時点で、犬がぐったりしているのに気付き、大急ぎで自宅へと戻る。
目が飛び出しかけ、舌をだし、ハアハア喘いでいる犬に、とりあえず、冷たい水を容器に入れて与え、冷水を浴びさせて、家の中で様子を見る。
起きあがって全く水を飲もうとしない犬の様子に、「水を飲みたがらないから、大丈夫」だと勝手に判断し、なおかつ「日曜日に動物病院はやっていない」という先入観で、病院に問い合わせの電話をかけることなく、翌日になっても、この状態だったら、念のために医者に連れて行こうと話していた。
が、その夜に、犬は死亡。
犬が死んだ1週間ほど後に、それを延々と私に告げたあとの、その人の言葉。
「犬に死なれちゃってね。(私が)可哀想でしょう?」
「・・・・・・・」
何も言えませんでした。と、いうより、怒りで何も言葉が出ませんでした。
そして、それから半月ほどしたあとで、たまたまその一家と会うことがあったんですが、私の目の前で、延々と、たまたま来た近所の方に、その話をくどくどしたあと、
「私らが、殺しちゃったようなモノだよねえ・・・。そうだよねえ〜?」
近所の方も返事に相当困っていた。
否定して欲しいのが見え見えの発言だからだ。
違うとは、とてもではないがいえない。だからといって、「そうですね。それ虐待ですね」と、言えるようなドライな日本人は少ない。
この人たちは自分たちが、「虐待行為」をしたことなど、一生解らないだろう。
自分たちの無知故に、2年も生きられなかった犬の苦しみなど、この人たちには、伝わらない。
誰も、この人たちに、罪を糾弾することも、罰することもない。
とかく、動物を虐待したという話は、通常では考えられないほどのショッキングな行動で、マスコミが騒ぐが、こういったことの方がよほど深刻で、そして、繰り返される行為だと、私は思っている。
別れ際。その人が私に向かっていった言葉が、耳に焼き付いて離れない。
「今度は丈夫な犬を飼うわ」
これが、とても、恐ろしい言葉に聞こえたのは、私だけだろうか。
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(もう一つの哀しいこと)
夕べ、久しぶりにあった方が、大変困った事になっておりました。
HPを持っているのですが、そこの掲示板が2ちゃんねる状態になっていたんですよ。解るヒトはこの言葉で解ると思いますが、「あらし」の被害に遭っていたんですな。
その方は、あまりの悪意ある言葉に疲れ果て、掲示板、ブログのコメント、トラックバック。全てを使用不可にしてしまったんです。
何が楽しくてそんなことをするのかねえ・・・。
話を聞いた人たちは、そう呟いておりました。私は、それを楽しい行為としては絶体に思いませんが、やりたがる人種については、多少解ります。
顔も解らない。どこの誰かも解らない。つまり、自分が自分という個人で相手に認識されにくいネット環境では、私生活では、まともの人の顔を見ることが出来ぬヒトでさえ、見知らぬ人間に罵詈雑言を浴びせることが出来るのです。
そう。都合が悪ければ、そこから逃げ出せばいい。誰も追っかけて来れない。
自分は自由だ。何をやっても許されると、勘違いするんです。
自分は違うと言い張るヒトは多数いるが、よくよく見ると、あんたがやっているのは、「あらし」行為だよ。と、呟きたくなるヒトも、実は結構いる。
表面的には礼儀正しい(?)言葉で、相手を気遣うような言葉を書いているが、結局は自己中的発言。書かれた相手も気付かないので、いまのところ、しらんぷりしているが、親切ごかしで忠告しているようで、誹謗しているヒトは結構いるね。
無論、社交的な方で、積極的に掲示板とかに書き込みをするヒトもいるが、そう言うヒトは、あくまでも、マナーを守っている。それが、相手に取って、耳に痛いことでも、それでも、相手を尊重する言葉だというのが良くわかる。
逆を言えば、言葉使いによって、誤解を招いている方もいるようだ。
結局は、日本語の使い方なんでしょうねえ。