はむはむはむ……。やっぱり、生チモシーは最高だねえ。
……(無言のまま、がっつき〜)
さて、動物愛護週間最終日です。
だから、どうした? ウチはちゃんと自分のペット、かわいがっているからいいんだよぉ〜ん。ほらほら、うちの子、こんなに可愛いんだもの〜。
という方もいると思います。
そう言う方は、まず、ウチのブログなんぞ読まないでしょうから、まあ、おいておくとして。
ち〜〜とばかり、今夜はおもしろくない話(おもしろい話をしたことがないではないかと、ツッコミはしないで下さいね)をしましょうかねえ。
古い話です。こんな事があったんだよ。って、だけです。
まあ、読みたくない方は、<続きを読む>を避けてください。
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独身の頃から、ウチにはペットがいました。
アジアアロワナ(魚)です。今年、1/29に15才で死にました。
15年から20年生きる魚といわれていますから、まず、寿命だったのかもしれません。死に方は自殺か?と思えるほど、壮絶でしたが。
「せっかく高い金を出して買ったのに、思ったように色が出なくておもしろくない。少しでも元が取れないか?」
そう言う理由で、ショップに捨てられそうになった魚を、その時持っていた現金全部を出して(10万だったかな?その当時、年度末調整は現金手渡しだったので、たまたま持っていた)引き取った。
その時の私の頭の中には、動物愛護だの、可哀想だのという言葉はひとかけらもなかった。
ただ、飽きたブランド品を捨てるという、余りにもいい加減な態度に腹を立てただけだった。
まるで衝動買いのような行動に、周囲は呆れ、軽蔑し、罵るばかりだった。
犬猫と違い、魚には、まず水槽というモノがいる。しかし、その魚は普通ではない大きさだった。その当時で60センチほどだったのだ。当然、そのための水槽も大きく(最低120センチ×90センチ)なる。
それは、その話を持ち込まれたショップのオーナーが、便宜を図ってくださり、中古品だが、新品に近いモノを基本セット格安で譲ってくれた。(そちらも、15万ちょっとしたかな)
しかし、モノがモノである。受け取るまでの1週間はショップが面倒みてくれると言うことで、まずやり始めたのが、専門書を片っ端から読みあさった事だった。
金魚しか飼った事しかない私にしてみれば、ここまで神経を使わなければいけないのか。と、愕然。
大体一ヶ月にかかる諸費用を計算し、自分の収入で何とかなると読んだ私は、次々と、必要なモノを買い込んだ。
一番高額なモノは、格安で手に入れたとはいえ、やはり、それなりの装備を調えるには、それなりにお金もかかった。
そうして、迎え入れた魚に、私は藍(らん)という名前を与え、共に暮らし始めた。
犬猫と違い、所詮魚だから……という、周囲の声の中で、私は、日々魚と向かい合った。
一人暮らしではあったが、別段、魚に向かってぶつぶつ言いまくったわけでもなかった。そうこうしているうちに、自分より、周囲が、魚の行動に気付き始めた。
「ねえ、あなたが魚の名前を呼ぶと、寄って来るよ」
ウチに遊びに来た友人の一人が言い出した。最初は、私も疑っていた。
そのころ、私は、その大きな水槽(畳1畳分ほど)で、3匹飼っていたのだが……。
「藍、**はどうした?」
そう言うと、藍は、物陰に隠れている**を連れて、私の目の前に、並ぶのだった。
それが偶然ではない。と、友人は言うのだ。
試しに、友人が3人ほど集まったときにやってみた。
確かに私が言うと、それをやる。
他の友人がやっても、無反応である。
友人たちはしきりと感心していたが、私にしてみれば、それは単なる習慣か?ぐらいにしか思わなかった。
そのうちに、アジアアロワナではない魚、1匹が死んだ。
2匹だけになり、それから一年後。
エサの時間になっても現れない1匹を不審に思い、
「藍、**はどうした?」
と、聞くと、藍は、正面から見えない流木の影に頭をツッコミ、何かを引きずり出そうとしている。
だが、それは、流木に引っかかっているのか、出てこない。
もう、その状態で解った。
「そうか。もういい。少しどいていろ」
流木を退かし、もはやエラすら動かぬ魚を、手で掴み、水槽から引き出そうとしたとき、藍は思いもかけぬ行動に出たのだ。
掴んでいる私の手をかむのだ。歯がないから、けがははないのだが、かなりの力で噛みつき、引っ張る。
思いもかけぬ行動に、思わず、魚を掴んだ手を離すと、沈んで行く魚に、蘭は体をすり寄せる。アゴを使い、横たわる魚の体を起こそうとする。
「もう、いい。もう、いいんだ。そいつは死んだんだ」
再度手を突っ込み、魚を水槽からだそうとすると、また蘭は私の手に噛みつく。
しかし、今度は私も手を離さず、50センチ以上ある魚を引きずり出した。
あれは、単なる魚の習性だったのか。どうなのかは私は知らない。魚同士の愛情、友情だったのかと、夢想もしない。
ただ、そう言うことがあったという事実だけは、今も私の中にとどまっている。