あ〜ぬくぬく。ちと、シッコ臭いような気がするけど。
むぅ〜〜
時折、くぅ兄はこうして、茶々丸のお腹の下に頭を入れる仕草をします。
暖かいからなのでしょうか。
それとも、寂しい?甘えている??
広い場所になったら、ウソのようにカクカク頻度が思いっきり減った二匹。
自分だけの居場所、無くなったのにねえ。
やはり、一日2,3時間程度の自由では、ストレス溜まっていたのかなあ。
人間がすぐそばにいるしねえ。
昨日から、自称動物(この場合は、動くモノという意味で)嫌いの私の母がいた。それは、もうどうしようもないほどに、悪化しつつある。
母が動物を嫌う理由は、良くわかっていた。それも、近年とみに酷くなっていたのも、良くわかっていた。
だから、私は、ペットを飼うニンゲンには、決して言ってはならないことを言う母を、最低限のラインで口答えしつつ、流していた。
母も、私はペットの面倒を、自分と娘でしっかりと見ているのと、正確な飼育方法を知らないことで、こっちの忍耐が切れる前にひと言程度で済ませる。
流石に、他人様には一度も言ったことがないようだから良いけど、相当に危険なひと言なのだ。(だから、ココには書かない)
まあ、なぜ、母がそうなったかについては、<続きを読む>にて。
良くある問題なのだろうが、そう言うことを何故、皆は気付かないのだろうか。
←ワンクリックお願いします。
何故、母がそう言う人間になってしまったのか。
身内の恥で申し訳ないが、母は弟一家4人と同居している。
弟と嫁さんは、週6日、一日外で仕事をしている。孫に当たる女の子2人は、現在7才と5才という微妙な年頃だ。
3年ほど前から、嫁さんは、子供の情操教育に良いからと、孫二人は(年齢から言って無理なのだろうが)後先考えず、しきりとあちこちから生き物を貰ってくる。
流石に、犬猫小動物(ほ乳類系)は、弟を通して母がはっきりと反対の意思表示をしている為いないが、それでも、昆虫や金魚など、常に頻繁に持ち込んでいるようだ。
それで、面倒をちゃんと自分たちで見ているのならば、母も文句は言わないだろう。
だが、弟は、自分が貰ってきていないことを理由に、嫁さんは自分が働いていて忙しいことを理由に、そして、孫達は、飽きたから。という理由で、実質的な飼育放棄をする。
では、それの面倒を誰が見るのか。
母である。
いやいやとはいえ、それでも、辛うじて心の底にある、生き物に対する憐憫の情で面倒を見ているが、それは、本当に飼育のみなのである。(母は間違った飼育はしていない。相談に乗っていた私が断言する)
そして、死んでしまった生き物を土に返すことまで、母が一人きりで密かにやっていた。(以前、嫁さんが、死体を子供に見せるなと言ったため)
だから、どんどん母は疲れていったのだろうと思う。生き物を飼うことに、飼っている人にさえ、嫌悪感すら抱き始めていた。
最後まで、母が面倒を見ていたのは、皆、それを承知していた。そこで辞めてしまえばいいのだが、母に対する甘えからか、いなくなる(飼育ミスではなく、本当に短命なモノばかりだから)と、次を貰ってくる。
昨年だったか、見るに見かねて、私が口を出した。
弟には、「家長ならば、ちゃんとペット(たかが虫、魚といわず)も、家に迎えた限りは家族なんだと自覚しろ」と、言い、
嫁さんには、「貰ってきた人間が、墓に入れる最後まで面倒を見てこそ、情操教育だ」と、言い、
姪っ子達には「生き物はおもちゃではない。ちゃんと世話をしてあげるから、可愛くなるんだし、好かれるんだよ」と、さとし、
そう言う実例として、ウチの茶々丸の面倒全てを、実家に滞在中に娘にみさせた。(一応、私の監督の下で)
その時は皆、一応の理解を示していたが、今年の春、とうとう犬を迎える話が出てきた。嫁さんの同僚の所で犬が生まれたのが原因。理由は、愛情をかければかけるほど、それに答えてくれるのが、目に見えて解る動物の方が、愛着がわき、面倒が見れるだろう。
だが、当然、母は、先のことの予測(同じ事の繰り返し。私もそう思った)に超不機嫌になり、家庭内はぎくしゃく。
困った弟が、私に相談のTELを寄こしてきた。
私ははっきり言った。「ここと、ここのHPを、まず最初にあんたが、次に家族全員が全部見てから、同じことを言うのならば、母も何も言わないだろう」と。
そうして、私は、動物保護センター実態を、的確に客観的に載せているHPと、無知な飼育が招いた悲劇を集めたHPを教えた。
それに、ひとこと添えた。
「子供に見せるには、酷とおもえる映像がある。と思うだろうが、ウチの娘は、それを生で見たんだぞ。その上で、自分には飼うことが出来ないと言ったんだぞ」
弟は、まずは自分が見て判断すると言い、それっきりになったのだが、母の話によると、話は立ち消えになったらしい。
安易な気持ちでペットを飼うという気持ちは、まず家族に迷惑がかかるという、実は簡単に発生する問題。その良い例を、自分の身内に発生させかけた点だけでも、自分は動物愛護を自認する資格無しと、自覚してしまった一件である。