午前九時半頃
くぅ永眠
こういうときに限って起こるほんの些細な偶然が、いくつかありました。
まずGW過ぎてから、7月になるまで東京に研修中で、それまで帰宅しないといっていたダンナが、金曜日の夜に突然帰宅。
理由は、土曜日に娘の運動会があるのを知ったから。
たまたま酒の席で上司にそれを言ったら、強く帰宅を勧められ、そのまま最終の新幹線で帰ってきた。
そうして、土曜日に予定通りに運動会。
日曜の夜にだんなは東京に戻り、夜、いつものクスリを与えようとして抱き上げたとき、あまりの軽さ、そして、糞の小ささとその匂いに愕然としたものでした。
硬く凝ってしまった首筋をいつもより念入りになでさすり、くぅが気持ちよさそうに眠りこけてしまうまで、ずっとそうしていながら、もう長くはないかも。自分にこれ以上何ができるかをずっと考えていました。
そして今日。
朝、起きたとき、あかないはずのゲージの入り口があいていました。上を開けっ放しにしていたため、入り口など、誰も空けなかったのに。その入り口に、顎を乗せるようにして横たわるくぅ。
そのときはかすかに息をして、差出した生チモシーの葉っぱを少し食べていました。
運動会の振り替え休日で、今日は娘が一日家にいました。
本当だったら休むはずの私は、今のバイト先の規約で、どうしても5月は一日一時間すら休むことのできない状態でした。
でも、今日が31日。明日以降だったら一日程度は休んでもいいと上司に言われたことを思い出しつつ、娘のお昼ご飯とおやつを用意し、くぅたちの世話を頼んで仕事に出ました。
明日までに完了させなければならない仕事が、思った以上にはかどり、今日の午前中にすべて終わり、娘が一人で留守番していても普段したことがないこと。昼休みに家に電話をかけました。
そこで、私は、娘から「くぅが呼んでも触っても反応しない」と、聞かされ、死んだことを伝えられたのでした。
単なる偶然。言ってしまえばそれまでです。
こうしてまた私の前から命が一つ消えました。
かかっていた動物病院に電話をして、担当の獣医さんが不在なことを知ると、死亡とお礼の伝言だけを頼み、そのまま電話を切りました。
今後の医療のための解剖も頭をよぎりましたが、それだけは嫌だと娘が言うので、明日。一人で火葬場につれてゆきます。
このブログで、病気になったくぅを心から心配し、応援のメッセージや、お見舞いを下さった方々。
私の力が足りず、申し訳ありませんでした。すみません。