モフちんと過ごした最期の夜、お腹が痛そうだなと思い始めてすぐ念のため、主治医の判断を仰いでお腹を動かす常備薬を飲ませました。
その前から数日、食欲が落ち気味だったのでその薬を半包づつ飲ませていて、大分食欲が戻っていた矢先だったこともあり、1包飲ませればきっと大丈夫と思ってました。
すぐに薬を飲ませて対処できたこと、主治医にも早めに相談できてその夜を乗り越える手はずも整えたことで対応は万全のはずでした。
お腹を動かすために遊ばせようかとケージを開ければ自ら出ていつものへっぴり腰でリビングを探検して、「モフちん」と呼ぶとワタシのところに帰ってきました。
こんな結果を予想することもまったくなく、あとは朝まで薬が効くのをモフちんの様子を見ながら待てばいいと思い、時間潰しでここを更新する余裕すらありました。
でも、この薬に対する過信が仇になってしまいました。
主治医のお腹の薬はうっ滞にすごく効く!と評判の高い薬だということ、その前の数日に食欲が落ちていたのもこの薬のおかげで復活してきていたこと、で「これさえ飲ませれば絶対大丈夫!」と思い込んでしまった。。。
その後も今思えば幾度かの結末を分ける境目でことごとく判断を誤った。
どこかで、「薬を飲ませているから、主治医とも相談しているから・・」という安心感がありました。
今になって、あの時、あの時、あの時・・・すべての瞬間が繰り返し繰り返し思い出されます。
モフちん自身の様子を観察する目が甘くなってた。
生身のモフちんの様子を観察して、的確な判断を下さなければいけなかったのに、勝手な思い込みと勝手な安心感にすがってモフちんを見てなかった。
なぐさめないでくださいね。ワタシはこの真実を自分で認めてその浅はかさと愚かさに向き合わなければいけない。
そうしなければ、モフの死が無駄になってしまう。
モフを亡くしてから、ふわらの薬を準備するとき、ご飯をあげるとき、サークルを組み立てるとき、モフの不在をいやというほどに思い知らされています。
モフの薬もご飯も、モフの飛びシッコの痕もたくさん残っています。
テーブルでパソコンをいじっているワタシを「マダデツカ?マダデツカ?」と期待いっぱいにキラキラした目でサークル越しに見つめる瞳ももう感じません。
家中のあちこちに、そして日常のあらゆるシーンにモフがいた痕跡があるのに、その姿はもう見ることができません。
夜はいつもくたくたに疲れて泥のように眠るほどにまでならなければ、眠れず、朝は目覚めと同時にモフちんがいないことを思い出します。
ここを書く時だけ、少し落ち着いていられました。書くことで、心の整理がつくような、そんな気持ちで亡くなった日から今日まで連日書き続けました。
でも、弔いを済ませ、骨になって帰って来た今となっては、もうワタシが書ける事は泣き言しかありません。
まだまだ写真や動画を冷静に見ることも整理することもできないのに、ここを更新する時にモフちんの姿に触れたい衝動にかられてつい過去の記事や動画を見てしまいます。
ですので、しばらくの間お休みしようと思います。
モフちんの思い出が詰まったこのブログが消去されないように、時々戻って来ようと思っています。
モフちんが亡くなってから今日まで、コメントくださった皆さん、ひっそりと心配してくださったみなさん、本当にありがとうごいざいました。