ねえ、無いのがそんなに恥ずかしいの?僕もないんだよ。
うるさい!(気持ちいいんだよ。あったかくて)
昨夜は、一晩中茶々丸にペットリとくっつき、暖めて貰ったせいなのか、朝から、まったく代わり無しの、くぅ兄でした。
ちょこっと下痢をしていましたが、点滴の副作用と説明があったので、今は、普通のコロコロをしていますが、一応、今日も様子見です。(あ、食欲は万全ですよ〜)
嫌なことは続けてあるようです。
今回のことで、相当にめげていたのに、とどめを刺すようなニュース。
子猫殺し告白←クリックすると見れます。
知っている人も多いかと思いますが、直木賞作家の坂東眞砂子が、自分の飼い猫が産んだ子猫を殺しているという告白をしたエッセイに対する、自己弁護告白記事。動物愛護週間だから、言い訳をしますと、新聞に寄稿されたものだ。
ええ。ええ。こんな時に、こんな記事を読んだ私が馬鹿でした。
上半分は、自己陶酔による言い訳文だから、コメントすら書く気にはなれない。
しかし……。
特に↓の一文が、激怒を誘った。
他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
誰も好きこのんでやっていない!!
かわいがっていたペットから、生まれてくる子供たち。その全ての一生に愛情を注ぎ、見守り続けることが出来るのならば、皆、それをやっている。
遺伝系、生殖系の病気にならなくて済む、またはなってもすぐ治る特効薬があれば、それがどんなに高くても、必死になって、皆買い求めようとするだろう。
それが出来ない現状で、皆、泣く泣くやっているんだ。
安易な気持ちでやっていると、思わないで欲しい。
ペットでさえ、皆が苦しんでいる。それが、自分自身(人間)の場合の人たちだっているはずだ。その人たちの悲痛な声は、きっとこの人の耳には届かないのだろう。
お前が言うな!生まれて間もない乳飲み子(猫)を、裏庭の崖へと捨て続けて、殺し続けた人間が!!
反論することを許さない、紙面上での一方的な意見。犯罪者に仕立て上げられそうになっている上で、自己弁護として上がったこの記事。
だが、この記事の中に、ひと言も、子猫を殺したことに罪悪感がない。
子猫に関わる唯一の一文。
さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。
解るだろうか。一見、自分の行為を悔いている文にも取れるが、何の事はない。子猫を殺すことによって、自分で自分を殺しているという錯覚に酔っているだけ。そこには、罪悪感のかけらもない。
何故に、こんな時に取り上げるのか。毎日新聞。
動物愛護週間でしょう?動物虐待週間ではないのでは?
逆説的な意味で、動物愛護に対して考えよう。という提示ならば、各愛護団体、法律家の意見も載せて欲しい。
こういう事を取り上げれば、皆が飛びつくと(はい、事実自分は飛びつきましたね)マスコミも安易に考えていないだろうか。
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